二神重則の略歴
大工見習 4~6年間
NPO法人ぶうしすてむ 15年間
日本尊厳死協会 手伝い 3年間
愛媛県肢体不自由児者父母の会 手伝い 2年間
二神の書き残しておきたい事
1955年頃中学生で暗号を使って文通する遊びが流行りました。コードを書いたペンケースがカンニングだと騒ぎになりました。もちろんチューリングと言う人の事は知りませんでした。
1995年は50歳、30年程務めた製薬会社の数年後の退職を目指していた。その年は阪神大震災・オウム事件・Windows95発売などがありました。
パソコンは1980年ころに発売された8ビットから16ビットへの移行時期で雑誌ではMSDOSとCP/Mの話題などで盛り上がってました。ネット関係ではパソコン通信があり全国版ではニフティーサーブやPC-VANと草の根BBSと言われる地域のホスト局があり、私は松山市のTownタウンに属していました。
パソコン通信の出来事はそれぞれの方に書き残してもらおうと思います。
私にとってのインターネット元年は、地域の草の根BBSで「TOWN」1986年スタートの面々と同「マドンナ」の人たちによる、インターネットって何から始まり、みんなで講演会をしようと「愛媛ネットワークセミナー」を3月に開催しました。その3ケ月後に第2回を開催することになり、改めて時代の流れを感じました。
1996年大掛かりな「インターネットは国境をこえる!」世界的な一大イベント「インターネット1996ワールドエキスポジション(インターネットエキスポ)」が始まり、国内に300人の128Kbpsの回線とルーターとパソコンの貸し出しがありました。NTTの方から参加のお誘いがありました。
私の残しておきたいと思っているのは以下の三件です。
(一件目)「道後湯築城」と運動主体の「道後湯築城を守る県民の会」のホームページを1996.09.14立ち上げました。これがきっかけになりパソコン通信全国ネットで話題となり、またそれまでの会の地道な活動により現在の史跡保存が出来ました。これらの経緯を関係者に残してもらおうと思います。
(二件目)道後湯築城は河野氏で、その配下に二神の一族がいました。「湯築城」のホームページの中に二神のコーナーと簡単な歴史を作りました。それがきっかけで全国ネットの「二神系譜研究会」が設立されました。は設立前からこれまでの事を詳しい方に書いてもらおうと思います。
(三件目)1999年に早期退職し震災ボランティアの時に決めた大工さんを目指し見習いに入りました。途中大病をして障害者になりましたが当時ボランティアでNPO法人「ぶうしすてむ」に於いてCADの講師をしていました関係でインターネットを使った在宅就業を、仲間と一緒に目指しました。当時の障害者の労働の現場の事やインターネットを使った在宅就業を目指していた人たちの記録を残したいと思っています。
(NPO法人「ぶうしすてむ」は障がい者の就労を目指す主旨で盲学校の先生方が設立された団体。)
同じ時期は後の世で失われた30年と呼ばれ。子供たちは就職氷河期と言われる時期になります。